3歳で孤児院…波乱万丈なわたしの生い立ち
2021/05/17
本日のインプット動画
七里です。
今回は、これまでよく質問があった
「わたしの幼少期について」
お話ししたいと思います。
幼少期の経験はその後の人生に大きな影響を
与えると言われていますが・・・
わたしの人生は幼少期からまさに
「波乱万丈」でした。
3歳 孤児院に1年間預けられる
小学校 いじめられっ子・家業の手伝い
中学 歌舞伎町で遊びまくる
高校 某不良マンガのモデル校へ入学
自分の幼少期を振り返って
わたしは 商売人・七里信一 に
なるべくしてなったと思っているのですが
あなたはどう感じるでしょうか。
くわしくは以下からご覧ください。
今回は、これまでよく質問があった
「わたしの幼少期について」
お話ししたいと思います。
幼少期の経験はその後の人生に大きな影響を
与えると言われていますが・・・
わたしの人生は幼少期からまさに
「波乱万丈」でした。
3歳 孤児院に1年間預けられる
小学校 いじめられっ子・家業の手伝い
中学 歌舞伎町で遊びまくる
高校 某不良マンガのモデル校へ入学
自分の幼少期を振り返って
わたしは 商売人・七里信一 に
なるべくしてなったと思っているのですが
あなたはどう感じるでしょうか。
くわしくは以下からご覧ください。
まず、本題に入る前に
お伝えしたいことがあります。
わたしはビジネスに役立つ話や、
あなたの成長に貢献できるような
情報を発信しています。
そこで気づいた良い点・悪い点について
あなたなりに感じたことを
必ずコメントしていただきたいです。
インプットした情報は、
アウトプットをすることによって、
得た知識が経験となり結果に繋がります。
また、コメントを書くことを前提に
読んでいただくことによって、
情報収集の効率が上がります。
ぜひ、意識してみてください。
まず、本題に入る前に
わたしは、生まれも育ちも新宿で
物心ついた時から今につながるような
さまざま経験をつんできました。
福島の高校に通っていたので
東京を離れていた期間もありますが、
高校まではずっと家族と
新宿に住んでいました。
これまで何度か、高校に入学してからの
お話しをしてきましたが、
今回は、中学までどのようにして
育てられたのか?という話です。
孤児院での生活
わたしが3歳の時に母親が結核になり、
孤児院で過ごした時期があります。
わたしは3人兄弟で妹と弟がおり、
弟はまだ0歳だったため、
祖母の家に引き取られましたが・・・
わたしと妹は、公共の支援を受けて、
孤児院で生活することになりました。
そこから月に1度だけ父親に連れられて
母親に会いにいっていた記憶があります。
孤児院での生活を例えるなら、
保育園にずっといるような感覚です。
たくさの子供が一緒に生活しているので、
それほど寂しい思いはせずに、
過ごすことができました。
3歳だったので
覚えていることも少ないですが・・・
ただひとつ、
強く印象に残っていることがあります。
養子を希望する家庭に引き取られた子が
戻ってきた時のことです。
行く前はとても嬉しそうに
はり切っていたのに、戻ってきたら
まるで元気がなく寂しそうな顔を
していたのを今でも覚えています。
はっきりとした理由は分からないですが、
“喜んで行ったのに
受け入れてもらえなかった”
ということが、
表情から見て取れました。
これは本当にショックな出来事として、
鮮明に覚えています。
子供店長時代
小学校では、周囲とうまく
コミュニケーションがとれず、
いじめられていました。
しかし学校が終わるとさまざま仕事をこなす
「子供店長」として社会勉強を積みました。
当時、両親が経営者だったので、
自然と小学生の頃から
・両親が経営する婦人服屋
・手芸ショップ
・コーヒーショップ
これらのお手伝いをするようになり、
色々な業務を任されました。
例えば婦人服屋さんでは、
接客とレジ打ち。
手芸ショップでは、
お客さんの要望に合わせて
生地をカットしたり、在庫の管理。
コーヒーショップでは、
コーヒー豆を挽いて販売していました。
そうやって実際に現場に出ていると、
「売り上げ」も意識するようになるので、
自分なりに目標を立てて頑張っていました。
すると、売り上げ金の管理も
任されるようになり、
夜間金庫にお金を預けに行く
という業務も小学校4年生の頃には
任されるようになりました。
小学生の頃から物を売ってお金をもらう
という商売の経験をしたことは、
今の自分にとってかなりプラスに
作用していると思います。
パソコンとの出会い
小学校5年生のときに父親が、
「MZ-2000」というパソコンを
持ってきてくれました。
これが初めてのパソコンとの出会いです。
約40年前のパソコンなので、
グリーンディスプレイで、
ベーシックプログラムしか
入っていないものでした。
すっかりハマったわたしは独学で勉強して
ちょっとしたゲームをつくって
遊んでいました。
それから中学生になって、
「PC-8800シリーズ」のパソコンに触れ、
エクセルというものを知りました。
あまりパソコンが普及していない時代に
人より先にパソコンを使えるように
なったことはラッキーだったと思います。
「この1台であらゆる事ができる」
と、その当時から感じ、
現にそれが仕事になりました。
このパソコンとの出会いが人生の
ターニングポイントになったと思います。
以上がわたしの幼少期です。
中学生になってからは不良になってしまい、
歌舞伎町で遊び呆けた挙句、
福島の高校に入れられました。
しかし、
・新宿で生まれて
・新宿で育ち
・両親の元で商売を学べた
ということは、
非常に恵まれていたと思います。
また、そのような環境を
与えてくれた両親に感謝しています。
当たり前ですが、
人はそれぞれ、さまざまな
生い立ちがあると思います。
冒頭で、幼少期の経験はその後の人生に
大きな影響を与えると言いましたが・・・
良い思い出も過去のトラウマも、
大人になってどう活かすかが
重要なのではないかなぁと思います。
あなたの幼少期のことも
教えていただきたいと思いますので、
ぜひコメントを残してもらえたら嬉しいです。
次回は、わたし親がどんな人だったか?
について掘り下げてお話ししていきます。
それでは、あなたからのコメント、
お待ちしております。
物心ついた時から今につながるような
さまざま経験をつんできました。
福島の高校に通っていたので
東京を離れていた期間もありますが、
高校まではずっと家族と
新宿に住んでいました。
これまで何度か、高校に入学してからの
お話しをしてきましたが、
今回は、中学までどのようにして
育てられたのか?という話です。
孤児院での生活
わたしが3歳の時に母親が結核になり、
孤児院で過ごした時期があります。
わたしは3人兄弟で妹と弟がおり、
弟はまだ0歳だったため、
祖母の家に引き取られましたが・・・
わたしと妹は、公共の支援を受けて、
孤児院で生活することになりました。
そこから月に1度だけ父親に連れられて
母親に会いにいっていた記憶があります。
孤児院での生活を例えるなら、
保育園にずっといるような感覚です。
たくさの子供が一緒に生活しているので、
それほど寂しい思いはせずに、
過ごすことができました。
3歳だったので
覚えていることも少ないですが・・・
ただひとつ、
強く印象に残っていることがあります。
養子を希望する家庭に引き取られた子が
戻ってきた時のことです。
行く前はとても嬉しそうに
はり切っていたのに、戻ってきたら
まるで元気がなく寂しそうな顔を
していたのを今でも覚えています。
はっきりとした理由は分からないですが、
“喜んで行ったのに
受け入れてもらえなかった”
ということが、
表情から見て取れました。
これは本当にショックな出来事として、
鮮明に覚えています。
子供店長時代
小学校では、周囲とうまく
コミュニケーションがとれず、
いじめられていました。
しかし学校が終わるとさまざま仕事をこなす
「子供店長」として社会勉強を積みました。
当時、両親が経営者だったので、
自然と小学生の頃から
・両親が経営する婦人服屋
・手芸ショップ
・コーヒーショップ
これらのお手伝いをするようになり、
色々な業務を任されました。
例えば婦人服屋さんでは、
接客とレジ打ち。
手芸ショップでは、
お客さんの要望に合わせて
生地をカットしたり、在庫の管理。
コーヒーショップでは、
コーヒー豆を挽いて販売していました。
そうやって実際に現場に出ていると、
「売り上げ」も意識するようになるので、
自分なりに目標を立てて頑張っていました。
すると、売り上げ金の管理も
任されるようになり、
夜間金庫にお金を預けに行く
という業務も小学校4年生の頃には
任されるようになりました。
小学生の頃から物を売ってお金をもらう
という商売の経験をしたことは、
今の自分にとってかなりプラスに
作用していると思います。
パソコンとの出会い
小学校5年生のときに父親が、
「MZ-2000」というパソコンを
持ってきてくれました。
これが初めてのパソコンとの出会いです。
約40年前のパソコンなので、
グリーンディスプレイで、
ベーシックプログラムしか
入っていないものでした。
すっかりハマったわたしは独学で勉強して
ちょっとしたゲームをつくって
遊んでいました。
それから中学生になって、
「PC-8800シリーズ」のパソコンに触れ、
エクセルというものを知りました。
あまりパソコンが普及していない時代に
人より先にパソコンを使えるように
なったことはラッキーだったと思います。
「この1台であらゆる事ができる」
と、その当時から感じ、
現にそれが仕事になりました。
このパソコンとの出会いが人生の
ターニングポイントになったと思います。
以上がわたしの幼少期です。
中学生になってからは不良になってしまい、
歌舞伎町で遊び呆けた挙句、
福島の高校に入れられました。
しかし、
・新宿で生まれて
・新宿で育ち
・両親の元で商売を学べた
ということは、
非常に恵まれていたと思います。
また、そのような環境を
与えてくれた両親に感謝しています。
当たり前ですが、
人はそれぞれ、さまざまな
生い立ちがあると思います。
冒頭で、幼少期の経験はその後の人生に
大きな影響を与えると言いましたが・・・
良い思い出も過去のトラウマも、
大人になってどう活かすかが
重要なのではないかなぁと思います。
あなたの幼少期のことも
教えていただきたいと思いますので、
ぜひコメントを残してもらえたら嬉しいです。
次回は、わたし親がどんな人だったか?
について掘り下げてお話ししていきます。
それでは、あなたからのコメント、
お待ちしております。
コメントはこちらから
※すべてのコメントは、
いつも楽しく見させていただいてます。
ありがとうございます。
ネガティブコメントも、すごく勉強になってます。
返信はあまりしてませんが、
どんどんコメントください。
よろしくお願いします。